イスラム国の2人の日本人捕虜。
今の私には、この音楽しか思い浮かばない。。
The Crying Game https://www.youtube.com/watch?v=-EPGhjxm0G0
2015年1月22日木曜日
2015年1月20日火曜日
多国籍新年会
1月16日、熱帯医学研究所原虫学分野の新年会。長崎らしく魚介類の鍋料理飲み放題コースだったけど、平成研究者は料理が苦手で、鍋にまず春菊を入れるという、私的には信じられない平成理科系ボーイ!おいおい、君は本当に理系かい?
ケニア、ウガンダ、ガーナ、タイ、イランなどから集まった研究者たちは、あまり酒は飲まないし、さしみも肉も苦手な人も多く、枝豆とゴボウの天ぷらは人気でした。
そんな中、誰が始めたか腕相撲。腕相撲ってインターナショナルなゲームなんだね。国籍、年齢、性別超えて、みんなで盛り上がりました。
それにしても、日本人研究者たちの腕相撲の弱い事!!!日本人研究者よ。もっと筋肉つけなさい。
で、私は料理があまりにまずいので、飲み放題に専念し、スイッチオンで大フィーバーしてしまった。。。(反省中。。)
2015年1月11日日曜日
ドルチェ ビータ
私が唯一わかるイタリア語「ドルチェ ビータ」。「甘い生活」。1960年、私が生まれた年に発表されたフェリーニの映画。今日、甘い生活の主演女優、アニタ・エクバーグが亡くなった。
フェリーニが死んだ5ヵ月後、妻のジュリエッタも癌で亡くなった。当時の映画監督は私生活までドラマティックに見えるのは、私の思い過ごしだろうか。。。
で、なぜ「甘い生活」のことを書いているかというと、昔NYで知り合ったイスラエル人アーチストがALSで亡くなる前に会いに行ったときに、「今から戻れるとしたらいつに戻りたい?」と私が質問したら「ドルチェ ビータ」といいながら、古ぼけた週刊誌を私に見せた。Newyorkerだったか、New York Magazineだったか忘れたが有名なNYの雑誌に彼とSOHOの有名ギャラリーのオーナー女性がセントラルパークでキスしている写真が掲載されていた。。
とあるニュースから、少しずついろいろなことにリンクして、私の脳みその片隅に眠っていた小さな記憶が紐とかれていく。。。
ふうう。もっと新しい事を吸収したいのに、昔話を思い出すことが私の「ドルチェ ビータ」になりつつある。
フェリーニが死んだ5ヵ月後、妻のジュリエッタも癌で亡くなった。当時の映画監督は私生活までドラマティックに見えるのは、私の思い過ごしだろうか。。。
で、なぜ「甘い生活」のことを書いているかというと、昔NYで知り合ったイスラエル人アーチストがALSで亡くなる前に会いに行ったときに、「今から戻れるとしたらいつに戻りたい?」と私が質問したら「ドルチェ ビータ」といいながら、古ぼけた週刊誌を私に見せた。Newyorkerだったか、New York Magazineだったか忘れたが有名なNYの雑誌に彼とSOHOの有名ギャラリーのオーナー女性がセントラルパークでキスしている写真が掲載されていた。。
とあるニュースから、少しずついろいろなことにリンクして、私の脳みその片隅に眠っていた小さな記憶が紐とかれていく。。。
ふうう。もっと新しい事を吸収したいのに、昔話を思い出すことが私の「ドルチェ ビータ」になりつつある。
50代から始めるNPO その16
1月9日、グーグル インパクト チャレンジに応募した。
ネット上の応募要領にしたがって、記載事項を記入し、応募ボタンを押したら、また最初の応募要領のページに戻った。
グーグルなら、応募が完了したら、メッセージが届くはずなのにおかしい。。と思い、問い合わせメールを送ると、私からの応募は届いていないという。なんらかのエラーが発生したらしい。で、グーグル・クロームまたはエクセルファイルで応募するようにというメールが届いたので、再チャレンジしたら、なんとか間に合った。
11月から3ヶ月間、ずっと考えてきた企画書。。データがないところをなんとかいろいろ数字をかき集めてそれらしくまとめて書き上げた。。
選ばれるのは、限りなく難しいけど、何もしなければ始まらない。これで2回目の助成金申請。申請書を書くたびに、少しずつ自分の中の曖昧だった部分が明確になっていく。
寒くて布団から出るのが面倒だったり、貧血で体を動かすのが億劫だったり、従来のズボラさに、老化も加わって、作業スピードがやたらと遅いのだけど、「亀だって前に進むのだ!」と自分にいいきかせて、少しずつ前に進んでいる。
去年3ヶ月NPO活動してわかったこと。「寄付金は簡単には集まらない!」。そうだよね。私だったら寄付しないもの。でも、面白いと思うものなら買ってもいいという人が数名でてきた。
で、ネパール、ウガンダ、ケニア、ラオス、ガーナのアクセサリー小物をNPOのホームページで販売することにした。しかし、日本のPaypalは、NPO法人の寄付金やショッピングには使えないという。だからクレジットカードと銀行振り込みで販売することになった。
本当にひとつひとつが日本とアメリカではシステムが異なり、時間がかかる。。
それでも、50歳すぎても、やりたいことがたくさんあるって、いいことだよ。。きっと。
ネット上の応募要領にしたがって、記載事項を記入し、応募ボタンを押したら、また最初の応募要領のページに戻った。
グーグルなら、応募が完了したら、メッセージが届くはずなのにおかしい。。と思い、問い合わせメールを送ると、私からの応募は届いていないという。なんらかのエラーが発生したらしい。で、グーグル・クロームまたはエクセルファイルで応募するようにというメールが届いたので、再チャレンジしたら、なんとか間に合った。
11月から3ヶ月間、ずっと考えてきた企画書。。データがないところをなんとかいろいろ数字をかき集めてそれらしくまとめて書き上げた。。
選ばれるのは、限りなく難しいけど、何もしなければ始まらない。これで2回目の助成金申請。申請書を書くたびに、少しずつ自分の中の曖昧だった部分が明確になっていく。
寒くて布団から出るのが面倒だったり、貧血で体を動かすのが億劫だったり、従来のズボラさに、老化も加わって、作業スピードがやたらと遅いのだけど、「亀だって前に進むのだ!」と自分にいいきかせて、少しずつ前に進んでいる。
去年3ヶ月NPO活動してわかったこと。「寄付金は簡単には集まらない!」。そうだよね。私だったら寄付しないもの。でも、面白いと思うものなら買ってもいいという人が数名でてきた。
で、ネパール、ウガンダ、ケニア、ラオス、ガーナのアクセサリー小物をNPOのホームページで販売することにした。しかし、日本のPaypalは、NPO法人の寄付金やショッピングには使えないという。だからクレジットカードと銀行振り込みで販売することになった。
本当にひとつひとつが日本とアメリカではシステムが異なり、時間がかかる。。
それでも、50歳すぎても、やりたいことがたくさんあるって、いいことだよ。。きっと。
2015年1月5日月曜日
これが今年の初夢か
明日から仕事という1月4日の夜。年末年始、自宅でのんびりすごしていたので、なかなか眠れない。5日は午前6時30分起きだから早く寝ないと。。と思っているうちにいつの間にかうとうとと眠りについたようだ。。
場所は、満員電車の中、前の車両にむかって人混みをかきわけながら進んでいくと、車両の前のほうに、大学時代の同級生たちがたくさん集まっている。
みんな昔と同じ顔して笑っている。「こんなに混んでいたらマージャンできないねぇ。」と、盲パイする手振りをしている私がいる。
大学時代の友人10数名で、電車と自動車組みにわかれて、福岡から湯布院まで旅行にいったことがあった。鈍行列車はガラガラで、車両一両ほぼ貸しきり状態で、トランプしたり、紙マージャンしたり。。列車内のマージャンの様子を気にしながら4-5名分の駅弁を買って運ぶ途中コンコースの柱にぶつかって、お弁当箱がぐちゃぐちゃになったこともあった。。列車が途中切り替えで、目的地と異なる駅についてしまい、みんなで駅員さんに謝って、次の列車に無料で乗せてもらったり。。なんとも、のどかな旅行でした。。
あれから35年近く過ぎた。。会社で偉くなった人、海外に単身赴任している人、若い頃のキャリアとは異なる部署に移った人、宗教団体に入った人、車椅子生活になっている人、親の介護のために会社の部署を換わった人、行方不明の人。。。子沢山の人、独身の人、離婚した人。。
35年間ひとりひとりにそれぞれの人生があり、もう大学時代のように漠然とした将来の夢を見ながら飲み明かす時間は戻ってこない。。
夢の中の満員電車は、何を暗示していたのだろう。。前へ前へと進んで、もう後戻りできない人生を象徴していたのだろうか。。あるいは、そろそろ電車を降りる人たちが出てくる事の暗示だろうか。。
本日のBGM: 止まらない汽車 by 中山千夏♪(古いねえ~~~!)
https://www.youtube.com/watch?v=NSmldZjJT4Q
場所は、満員電車の中、前の車両にむかって人混みをかきわけながら進んでいくと、車両の前のほうに、大学時代の同級生たちがたくさん集まっている。
みんな昔と同じ顔して笑っている。「こんなに混んでいたらマージャンできないねぇ。」と、盲パイする手振りをしている私がいる。
大学時代の友人10数名で、電車と自動車組みにわかれて、福岡から湯布院まで旅行にいったことがあった。鈍行列車はガラガラで、車両一両ほぼ貸しきり状態で、トランプしたり、紙マージャンしたり。。列車内のマージャンの様子を気にしながら4-5名分の駅弁を買って運ぶ途中コンコースの柱にぶつかって、お弁当箱がぐちゃぐちゃになったこともあった。。列車が途中切り替えで、目的地と異なる駅についてしまい、みんなで駅員さんに謝って、次の列車に無料で乗せてもらったり。。なんとも、のどかな旅行でした。。
あれから35年近く過ぎた。。会社で偉くなった人、海外に単身赴任している人、若い頃のキャリアとは異なる部署に移った人、宗教団体に入った人、車椅子生活になっている人、親の介護のために会社の部署を換わった人、行方不明の人。。。子沢山の人、独身の人、離婚した人。。
35年間ひとりひとりにそれぞれの人生があり、もう大学時代のように漠然とした将来の夢を見ながら飲み明かす時間は戻ってこない。。
夢の中の満員電車は、何を暗示していたのだろう。。前へ前へと進んで、もう後戻りできない人生を象徴していたのだろうか。。あるいは、そろそろ電車を降りる人たちが出てくる事の暗示だろうか。。
本日のBGM: 止まらない汽車 by 中山千夏♪(古いねえ~~~!)
https://www.youtube.com/watch?v=NSmldZjJT4Q
2015年1月4日日曜日
2015年1月3日土曜日
Happy New Year 2015
毎年、元旦には、熱帯医学研究所にきている外国人を数名自宅に招待しておせち料理を振舞っている。タイ、ラオス、ウガンダ、ケニア、マリ共和国、ベナン共和国、アメリカ、アフガニスタンの人たちが訪れて、日本のおせちを楽しみ、会話もはずんで楽しい正月パーティーでした。
毎年面白かったけど、今年はかなりユニークでした!
今回参加したのは、アメリカ人のT教授、タイ人のJさん、ガーナ人のKさん。私は、おいしい料理があれば、自然と会話もはずむと思っていたのだが、煮物も刺身も酒も苦手なガーナ人のKさんが、途中で面白くないのか眠たそうにしていたので、ソファーで休むようにすすめ、4人でお屠蘇やなまこ、鰤や蛸の刺身などを楽しみながらいろいろ話した。寝ているはずのKさんが、携帯電話で話しをはじめたので、電話が終わったところで、「アイスクリーム食べる?」というと、むっくり起きてきて、テーブルでアイスクリームを食べ始めた。ミルクと砂糖を入れたコーヒーとカップケーキを出すと、小さいカップケーキ7個をぺろりとたいらげた。Kさんの指は、ものすごく長い。ピアニストやベーシストが見たら、羨ましがりそう。。と話したら、彼はピアノを触ったことがないという。でも、マラリアや科学の話になると、熱く話し始める。。
去年、NPOを立ち上げて以来、青年海外協力隊でラオスやガーナに滞在中の人や滞在経験者からいろいろ話を聞いてきたのだが、私が当たり前と思っていたことが、全く通じないことがたくさんあることを実感している。
助成金もひとつ応募したけど、だめだった。グーグルのNPO助成金申請締め切りが1月9日。かなりハードル高いけど、とにかくチャレンジするつもり。
難しい問題山積みだけど、チャレンジし続けることに価値があると思う。
価値観に個人差があるということは、言葉ではわかっていたけれど、その中で、自分が興味があることを形にしていく難しさがわかっただけでも、一歩前進です。
2015年。今年も一歩ずつ前進しようっと!
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