2016年12月8日木曜日

50代から始めるNPO その30

ひさしぶりにNPOのお話。
NPOを設立したものの、寄付金集めも助成金もうまくいかず、ラオスの交通事故対策として反射テープを配布しながらラオス各地を旅し、いろいろな人に会い、いろいろな物を見てきた。

その中でわかったこと。私がやりたいのは、開発途上国と呼ばれている国々が、個々のオリジナリティーを大切に残しながら豊かな生活ができるようにすること。ニューヨーク23年間の生活で、物と情報にあふれ、豊だと勘違いしながら美味しくないものや不要な物を便利な物だと錯覚し、束の間の満足感をキープするために自分自身を見失っていく。。そんな生活がだんだん悲しくなってきて、すべてをリセットするために長崎に戻り、熱研でアフリカや東南アジアの人たちとであい、ラオスにであい、本当の豊かさについて考えるようになった。

で、ラオスの美しい自然と文化を守りながら人々の生活を豊かにしたいと思うようになった。今年7月にシエンクワンで7000ヘクタールの農地を開発している日本人に会い、オーガニックで農業するなんて甘いと笑われたけど、やっぱり、農薬を使わずに美しい自然を守りながらラオスの特産品を開発したいと考えてきた。

10月にラオス南部のオーガニックコーヒー農場を訪問し、そこを開拓してきたラオス人とアボカド栽培について話し合った。コーヒーの花に集まるミツバチはらとれる蜂蜜の話もきいた。

そして、ラオスの土地を愛し、無農薬でコーヒーやアボカドを栽培し、現地の人たちの仕事も増やしている彼と、ラオスのオーガニック製品を日本に輸出するプロジェクトを始めることになった。

ということで、2017年からは本格的にNPO活動開始です!やっとそれらしくなってきました。

2016年11月13日日曜日

やっと少し見えてきた!




10月21日から10日間、ラオスに行ってきました。4度目のラオス。
今まで、NPOとしても中途半端だし、一瞬「いいね!」と思っても、すぐに「あまいな。」と落胆することの連続で、もんもんとしていたのだけど、今回やっとやるべきことが見えてきました。

犬もあるけば棒にあたる。書を捨て、町にでよう。。迷った時こそ、外に出なければいけないと実感しました。

それにしてもやっぱりラオスの女性たちはたくましい!

2016年10月1日土曜日

マサイ通信

最近、下記のようなブログを見つけた!

http://rocketnews24.com/2015/11/14/664978/

ロケットニュース24というサイトで、ケニアのマサイ族の青年が自分たちの生活をレポートしている。

ある日本人がケニアのマサイ族の村で出会ったFaceBook大好きな青年に「井戸が枯れたのでお金を援助してくれ。」と言われたので、「他人に頼らず自分で稼げ!あとで携帯電話を送るから記事を書いて原稿料を稼げ!」ということになり、携帯の操作方法や自撮り棒の使い方を教えてスタートした「マサイ通信」。

時々ピンボケ写真もあるけれど、とにかく明るく面白い。何より、日本人とマサイ人が同じ目線でコミュニケーションをとっているところが最高。

そうなんだよね。NPOで助成金がどうとか、寄付金が集まらないとかいうよりも、まず実行して前に進まないと。

何より、明るく面白いのが最高!

2016年9月19日月曜日

ふうううううう。

Facebookには、日々の小さな発見や出来事を書き、ブログには、自分がいま何を考えているかを記録しようと、なんとなく心がけてきたのだけど、最近 ブログの記事がなかなか書けない。

7月に行ったラオスでの出来事がとても面白かったので、記録しようと思っていたのだが、その後、ラオスであった出来事の続きが、なかなかうまく進まなくて。。届くと思っていた返事がこなかったり、面白そうと思っていたことが、覆されたりで。。

まあ、世の中思い通りにいかないのが当たり前であって、それらも呑み込んで前に進むことがチャレンジと思っていたのだけど

NYで知り合いだった人がいつの間にか死んでいたり、長崎に戻って新しく知り合った人もいつの間にか亡くなっていたりして。。今まではそのうちなんとかなるさと気楽にマイペースでやってきていたのに、自分の時間にも終わりがあることに気付いて、焦った気分になったところで、今までの自分のペースをかえられるわけでもなく。。

そんなこんなで、いろいろ考えているうちに時間ばかり過ぎていくのです。

10月21日からまたラオスに行きます。そろそろ具体的に形になるものを作らないと。。

2016年8月2日火曜日

7月2,3日バンビエン

おおおおお!いつの間にか8月になっているではないか!忙しいわけではないのに、細々したことに日々追われ、7月のラオス旅行を整理する前に8月になってしまった。。

とりあえず、ラオス旅行の続き。7月1日ビエンチャンに一泊し、2日ミニバスでバンビエンへ。雨季の中、なんとかバンビエンに到着したのだが、その後ホテルまでトゥクトゥクで移動。雨の中、1台のトゥクトゥクに8人詰め込まれ、ぬかるみのでこぼこ道を揺られながらホテルに到着。

ホテルはゆったり快適に見えたが、リバーサイドビューは全て韓国人観光客に押さえられていた。(まあその分、ホテル代は安かったけどね)。

2日はゆっくりバンビエン市内を観光というか、ぶらぶら散歩し、3日NPO現地スタッフに、去年交通事故防止用反射テープを配布したカムマック村と、農地とリゾート地に開発予定の150ヘクタールのカムマック山の視察に行く。



反射テープはとても役に立ったという話だが、データが全くない!しかも、ステイプルガンで固定したテープは1年3か月後も残っているが、テープのままはりつけた自転車後部はほとんど剥がれていた。何とか、対策考えないと。。

カムマック山に行くためにかかった橋が3日前に雨で流されたというので、ボートで移動。短い距離だったけど、泥だらけになってしまった。

カムマック山は、蚊だらけ。。現地の人たちが、宿泊施設を建設中なのだが、ハンモックもあって、ゆっくり昼寝しながら仕事してるみたい。

さてさて、私に何ができるかなあ。。。

ホテルに戻った後、おいしいワインを飲みたくなったのだけど、私が宿泊しているホテルは停電でエレベーターも止まっている。

そこで、バンビエンで一番高級なホテルのバーでワインを飲むことにした。さすがに高級ホテルで、バンビエン近くで作ったチーズが最高においしかった!

バーカウンターで働くラオス人は、まだ電気も通っていないラオス北部の村出身というのに、英語がペラペラ。かなり優秀な人なんだろうね。そこに、イタリアの三ツ星ホテルのオーナーの息子が2か月間ホテルマネージメントの研修きていて、いろいろ話をきいたのだけど、ラオスにはフレンチやイタリアンで使うようなカラフルな野菜が少なくて、ヨーロッパのいいシェフが働きたがらないという。。

美味しいチーズと美しい野菜。。カムマック村で作れないかしらん。。。

って、思うのは勝手よねええ。ふうう。




2016年7月20日水曜日

7月1日 バンコク、ビエンチャン

7月1日、福岡からタイのバンコク・スワンナプーム空港経由でラオスのビエンチャンへ。
タイエアーの飛行機は、各席に取り付けられているモニターも新しくなかなか快適。
スワンナプーム空港は巨大!ここを拠点に世界各地に飛行機が飛び立っている。
空港の免税店でワインを購入する予定だったが、免税店なのに結構値段が高い。ベトナムのハノイ空港のほうが安かったなあ。

バンコクからビエンチャン、ラオスに向かう飛行機は小さくてボロッちく、モニターなんてついてない。まあ1時間のフライトだしいいか。

3人シートの窓際は知らないおっさん。私は通路側に座る。で、ビエンチャン到着直前に、何がきっかけだったか知らないおっさんと話したら、日本人でラオス北部のシエンクワンの7000ヘクタールの土地を農地として開発しているという。

私たちが今回視察に行く土地は150ヘクタール。そこで何ができるか検討するのだが、3年前から7000ヘクタールの土地を開発しているって、すごおおおい!と思い、名刺交換。

ビエンチャン空港には夜8時半過ぎにつく。スナプーム空港にくらべるとガクンと小さい。タイとラオスの差がここにもはっきり出ている。

為替交換所はもう閉まっている。去年ラオスに来た時の残りの紙幣(キープ)でなんとか、ホテルまでのタクシー代がでた!

本当は、スワンナプーム空港で換金したかったのだが、タイ・バーツには換金できても、ラオス・キープには換金できなかった!!

というわけで、7月1日無事ビエンチャン到着。


2016年7月7日木曜日

3度めのラオスで得たもの 

1度目のラオスは、2013年12月、タイのバンコクに行ったついでに、知人が住むラオスにふらり立ち寄った。

2度めのラオスは2015年3月、NPOを立ち上げたあと、何ができるか下調べで出かけた。

そして、今年7月、3度目のラオスは、思いがけない出会いから、とても刺激的な旅になりました。

続く

2016年6月28日火曜日

もんもんもん  むううううう

もんもんもん
むうううううう

なかなか物事がうまく進まない。
NPOは、手続き関係だけやってても意味ないもんね。
中身が大切なことは分かったいるのだが、何かを始めようとするとすぐに壁にぶちあたる。

物事、そんなに簡単にいくはずがない。うまくいかなくて当たり前。出口のない迷路の中を壁にぶつかっては曲がり、ぶつかっては曲がる。

ふううう。

ワインの空き瓶ばかりが増え続け、数独の難問がなぜか最近はすぐ解けるようになってきた。

NPOも数独みたいにいかないものか。。

とりあえず、7月初めにラオスにいってきます。

2016年5月12日木曜日

NPOと失業保険

3月末、任期満了で、熱帯医学研究所を退職した。しばらくは、失業保険をもらいながらNPOのことを進めようと考えていた。

失業保険を申請するには、離職票が必要で、普通1ヶ月以内に届くらしいが、3月末退職者が多いため4月末から5月はじめに届くという。

4月中は、NPOのプロジェクトをすすめるため、いろいろリサーチしたり関係者をNPO事務所(って自宅ですが)に招待して、料理をふるまいながらいろいろ話を聞いたり、新しいプロジェクトが定款の内容から外れていないか、県庁のNPO関係の担当者に相談したりしていた。

ゴールデンウィークを過ぎてもまだ離職票が届かない。で、長崎大学の総務課に問い合わせたら、人事課の担当者に10日に発送していただきました。というメールが届いた!!1ヶ月以上立って、やっと発送していただけたのか???こっちはしっかり雇用保険払っているのに、結局退職した人の事は先送りなのね。そうやって弱者は置き去りにされるのね。。とムカついたけど、とりあえずお礼のメールを送った。(少しは大人になった私。。)

そして、11日、離職票、顔写真2枚、その他必要書類を揃えて、ハローワークへ。待つこと約1時間、やっと担当者と面談。一通り話が終わり、手続きも終わったところで、NPOでは給料が出ていないという証明書が必要ということになった。新しい担当者と話をしていたら、NPOの理事長は、給料をもらっていなくても、失業保険は受け取れないことがわかった!!!

っっっっっっっっ!!!!!。まるまる、1ヶ月以上無駄な時間を使ってしまった!!

とにかく、収益があがるNPOにするっきゃない!

いろいろムカつくことはたくさんあるけど、これでやっと私のお尻に火がついてきました!

燃えるぞう~~~!走るぞ~~~~!おばさんは怒ったぞう~~~~~!!!

2016年3月25日金曜日

50代から始めるNPO その30

私は、今月末で熱帯医学研究所を退職するのだが、在職中ラオス、ケニア、ウガンダ、マリ、タンザニアなどから長崎に来た優秀な研究者たちと知り合うことが出来た。さらに長崎大学にはグローバルヘルス研究所があり、青年海外協力隊で開発途上国で色々な体験をした人たちや、ユニセフやJICAなどで国際協力関係の仕事をしてきた人達とも知り合った。さらに、熱帯医学グローバルヘルスという研究分野に新しく参加し今後じぶんたちでNPOを作りたいという若者たちとも知り合いになり、彼らも私のプロジェクトに協力してくれるという。

50代半ばを過ぎても、新しいネットワークができ広がっていきそうなワクワク感を体験できるって、本当に素晴らしいです。

さらにさらに、熱帯医学ミュージアムのミュージアムグッズをデザイン、販売する企画ができるかもという話も出てきていて、4月以降も、時々長崎大学には通います。


Go!Go!Go!!!

2016年3月23日水曜日

2つの退職祝賀会

3月14日と21日、2つの退職祝賀会に出席した。

一つは、大学時代の恩師の祝賀会。34年前まだ助手だったS先生。当時は、特に明確にやりたい事があったわけではない私だが、なぜか大学4年の8月に大手自動車メーカーのカラーデザイナーに内定したので、その後カラー関係の卒業制作をすることになり、S先生からいろいろアドバイスをいただいた。

あれから34年、先生は福岡を中心に、都市計画やサインデザインのプロジェクトを数々成功させ、九州大学の副学長や、いろいろな学会の会長を務めていた。

3月14日は福岡市内のホテルで午前、午後合計6つの講義があり、その後祝賀会となった。環境デザイン、建築、サインデザインなどの著名な方々は、講義で先生のいままでの功績を称賛し、祝賀会には数百名の人たちが集まり、それはそれは盛大なパーティーだった。

21日は、長崎大学熱帯医学研究所で私を技能補佐員として雇用してくださったN助教授。会議や論文などのらりくらりと避けて超マイペースでマラリアの研究を続けてきた助教授の退職祝賀会に集まったのは16名。特に講義もなく、ホテルの円卓2つに出席者が座り、ゆっくり食事しながらひとりずつ前にでてマイクで助教授との思い出話を話し続けた質素な祝賀会。しかし、変わり者で有名な助教授にまつわる思い出話は、どれもほのぼのと温かく心に残るひと時だった。

世間一般にいえば、勝ち組・負け組にはっきりわかれた祝賀会だったけれど、本当の価値なんて誰が決めるのだろう。。そして、私はたぶん退職祝賀会というものはないだろうけど、どんな老後になるのだろうと。。思う2日間でした。

今の私は、NPOを軌道に乗せる事が一番の目標であり楽しみです。

50代から始めるNPO その29

NPOと言えば、寄附金や助成金で活動しているところも多い。オンラインショップが難しいなら寄付金集めや、助成金申請といろいろやってみた。ライオンズクラブ会員とか、、長崎の有志たちが集まる宴会等に何度か顔をだしたけど、NPOを始めましたと言っても、簡単に寄付金は集まらない。高齢者のお金持ちに寄付金をお願いしても、なんだかオレオレ詐欺みたいで、無理がある。助成金申請も、実績とかキャッシュフローとかがしっかりしていないと難しい。

で、いろいろ考えて、物品ではなくデジタルメディアを販売して収益を得る事にした。ラオスやウガンダ、ケニア等の美しい写真を送ってもらい、ホームページで販売して、売上の一部を写真を送って来た人たちに還元する。開発途上国も、携帯電話やスマートフォンは普及していて、フェイスブックにも多くの人たちが投稿しているし、長崎大学熱帯医学研究所ならではのネットワークで面白い写真がたくさん集まりそう。

ということで、いろいろな人たちに写真をお願いしているのだが。。みんな忙しいし、タンザニア人がサファリパークの素晴らしい動物たちの写真を撮影している友達がいるというのだが、彼らの時間の動きは日本人とは全く異なり、写真を送るという返事がなかなか来ない。。

しかし、なんとか50枚以上の美しい写真が集まったら、海外のメディアなどにもPRしていく予定。

デジタルメディアアーカイブもたくさんあるけど、開発途上国の美しい写真を集めたNPOから写真を購入するというのは、面白いと思う。

そんな事を今、考えてます。

2016年3月21日月曜日

50代からはじめる NPO その 28

そろそろ、具体的活動内容に関して書いていきます。
NPOを始めたきっかけは、タイのバンコクとラオスのビエンチャン、バンビエンを訪問し、バンビエンには、バンコクやビエンチャンのようになってほしくない。。と思った事から始まります。

そんなこと、NPOのHPにはストレートにはかけないので、もっともらしい説明が必要です。

NYで23年間生活し、ランチで一本1000ドルもするシャンペンを飲む大金持ちとか、自宅にあるドレスを着たくなったセレブが、友人にたのんでNYからLAの豪邸まで飛行機のファーストクラスで行ってドレスをピックアップしてスペインのバルセロナまで運んでもらうとか。。ソーホーの和食レストランで一人500ドル当たり前とか。。なんだか、お金の使い方や欲望と使い捨てが半端じゃないのが当たり前のような世界が空しく感じられるようになってきました。

友人からタイはいいよ!というのでバンコクにいったら、近未来的デザインと物乞いたちがごちゃまぜになったブレードランナー的世界で、なんだかうんざり。長崎大学熱帯医学研究所で知り合ったラオス人に会いにラオスを訪れたとき、ラオスの美しい町をバンコクのようにしたくない。。と思ったのです。

ラオスの首都ビエンチャンは、交通信号も駐車場も整っていないのに、自動車で溢れ、次々とホテルやレストランが建てられ、混沌とした中で、急成長しています。

そんな中で、すこしビエンチャンから離れた所にあるバンビエンののどかな農村を、自然と農民たちを共存させながら豊かな村に育てたいと思ったのです。

まずは、資金づくりと、今までNYでやってきたオンラインショップをラオスやアフリカのアクセサリー販売でやってみようと挑戦したのですが、既に同じような事は、やりつくされていて、その競争に勝つような品質管理やパッケージづくりには、時間とお金が必要だとわかりました。

続く

2016年3月17日木曜日

50代から始めるNPO  その27

NPOで、一番大切な物は「定款」。設立当時、生れて初めて使う漢字で、なんて読んでいいのかもわからなかったけど、ここに書かれている事が、NPO活動の基本になる。

他のNPOの定款を参考にたたき台をつくり、長崎県庁県民協働課を何度か訪問し、訳も分からないまま、言われるままに作成した。しかし、担当者が親切な方で、「一般的にこうするほうがいいようです。」というアドバイスで、比較的融通が利く定款になっているようだ。

わがNPOは、事業年度が12月末までなので、その後3カ月以内に、総会と理事会を開催し、県民協働課に事業報告書等を提出する。その他、定款の内容変更や、理事の住所変更なども県民協働課に報告する。

理事の任期は2年で、3月末で終了するので、再任も含め2年毎に理事就任関係の書類を法務局に提出する。住所、定款、役員、資産など登記簿に記載される内容の変更に関する事は全て法務局に提出する。

ここまで理解するのに1年半かかってしまった!

助成金申請を何度もチャレンジしたおかげで、事業報告書は比較的簡単にかけたし、たのもしい経理スタッフもいる。県民協働課とは、質問などはメールでやり取りし、書類は郵送し、不備な点はまたメールで指示がくるので、書き換えて郵送するだけ。。と、だんだんスムーズにできるようになった。

問題は法務局!!!

電子メールは受け付けないし、質問や相談は毎回予約して法務局に行くのだが、5時終了なので、遅くとも4時半までには行かなければならない。しかも、担当者によって、要領のいい人と悪い人がいる。

昨日は、理事の重任と住所変更で、法務局に行ったのだが、いろいろ書類の書き換え事項があり、

担当者:「ここは、このように書いて、この部分の日付はこのように変更していいでしょうか?」

私:「何がいいか悪いか私にはわからないので、今後、なるべく手間がかからず問題ないならいいようにお願いします。」

そんな会話の繰り返し。とりあえず、今年やるべき事はわかったけど、1年後、2年後までにやるべきことを教えてくださいと、いろいろ聞きだしていたら、資産変更手続きを今年4月までにやらなければいけないことが分かった。でその事を質問しようとしたら、「時間ですので、また日を改めてきてください。」という。

むうううううううう。

最初から必要事項をテキパキ教えてくれたらこんなに時間かからなかったのに。。。

今回の教訓: 恐るべし!お役所仕事。

2016年3月16日水曜日

50代から始めるNPO その26

NPOを立ち上げて1年半が過ぎました。そろそろ、実績を作らないと、口先だけのおばさんで終わってしまいます。2年以内に形にしたいと思っていたので、ピッチをあげなければいけません。

今温めているアイディアを、少しずつ広げ、いろいろな方の意見を聞いているのですが、なかなか難しいですね。

シンプル、ダイレクトでわかりやすい活動内容が、一番受け入れられやすいのだけど、私がやりたいことがまだぼんやりしているのが一番の問題です。

そんな時はネットサーフィン。。。をしてたら、ひさしぶりに、山中俊治さんのブログに行きました。

”「できた!」と思ったものから「なんとなくそうしてしまったこと」をていねいに取り除いてゆく。そうやって濁りを取り、あらゆる細部に目的に沿った意味を込めてゆくことを「洗練」という。”

昔、大学で習ったKJ法をいうのを思い出しました。
もう一度原点に戻って、ブレーンストーミングから始めてみます。


山中さん、ありがとう。


2016年3月15日火曜日

50代から始めるNPO その25

NPOの年度末が12月なので、その後3カ月以内に、社員総会、理事会等開き、事業報告書等をまとめて、長崎県庁県民協働課や法務局などにいろいろ書類を提出。。などなどでばたばたしておりました。

今回2回目の書類提出。経理担当スタッフの援助もあり、今年はだいぶ慣れてきました。今だに捨印、割印、印、印、印。。には ???の心が騒ぎますが、私もだいぶ大人になり、長い物に巻かれて、一般常識になんとなく足並みを揃える事ができるようになってきました。

で、1年半たったNPOですが、助成金も寄付金もなかなかうまく集まりません。そんな中、監事のM教授が、書き損じた葉書類や、未使用切手等を寄付してくださいました。

招待状、年賀状など、印刷しすぎたり、書き間違えて発送しなかった数百枚の葉書類は郵便局に持っていくと、10%の手数料を差し引いた残りを新しい切手に換金してくれます。その額約56000円!!やったね!

で、その後は金券ショップで切手を現金化するのですが、切手シートで80%、バラの切手で70%の現金になります。

そんな事知らないで、シート数枚であとは1000円その他のバラの切手に換金していたので、結局56000円は、38000円にしかなりませんでした!お年玉年賀はがきで当選してもらえる2枚入りシートも70%にしか換金していただけません。

さらに、1960年代から集めた記念切手(見返り美人とか、天皇なんとかとか。。)もいろいろいただいたのですが、これらも70%換金にしかなりません!

というわけで、これらの記念切手は、今後NPOで使う送料に充てる事にしました。

ふうううう。NPOやってると、いろんな事が勉強になりますね。

本日の教訓

郵便局で、切手に換金する時は、なるべく10枚以上のシートにしましょう!

続く


おひさしぶりです!

最近、いろいろ考える事はあるのだけど、頭の中でぐるぐる回ってそれだけで疲れてしまい、文章にしていませんでした。

もう何か月もごぶさたのこのブログですが、時々見てくださる方がいるのですね。

「入院されてたのですか?」「大丈夫ですか?」というメールや電話を数名のかたからいただきました。

ありがとうございます。生きてます。飲んでます。

3月一杯で長崎大学熱帯医学研究所を退職し、しばらくはNPOに専念します。NPOに関しても、多くの方々からアドバイスをいただき、さらに明るいアイディアも閃いてきたので、本気でやってみます。

詳細は、この次のブログに書きます。

3月13日日曜日、福岡で大学時代お世話になった教授の退官祝賀会に参加し、大学の後輩たちと飲みました。みんなから「若いですね。」「元気ですね。」と言われ、いい気になってガンガン飲みました!でもだれも「美魔女ですね!」とは、言いません。久しぶりにはいたハイヒールで足がいたくなり、会場のカーペットの上で裸足になっていた私は、元祖おやじギャルなので、美魔女には永遠になれないようです。でも言われてみれば、最近ストレスがほとんどありません。自分が好きな事、やりたい事をやっているので、うまくいかなくても全て自分のせいです。ストレスのたまりようがないのです。

しかし、50代半ばになった人たちの会話は、誰それが癌になったとか、入院したとか。。暗い重い話が多かったです。

ふううう。

とにかく健康第一で、明るくいきましょう!

2016年1月11日月曜日

2016年の初めに

最近、FBメインですっかりブログが少なくなってしまいましたが、日々の出来事や考えていることを記録するという点ではブログのほうがいいですね。
去年9月末からしばらく入院し、ブログを読んだ方々からお見舞いのメールをいくつかいただきました。
ありがとうございます。

その後体調は全快ではありませんが、結局手術はやめて、5週間毎に注射を打つことで貧血をおさえています。子宮筋腫の治療に関する詳細は、後日書くことにします。

NPOは、去年助成金を5回申請したのですが、すべて却下されました。申請内容は、少しずつよくなってきていると思うのですが、実績やキャッシュフローが少なすぎるようです。

今年は、NPOの実績づくりにもっと力をいれていきます。具体的にインパクトのある企画がやっと生まれたので、1-2月中に整理してHPにアップし、3月から実行する予定です。

今年もよろしくお願いいたします。