2016年3月25日金曜日

50代から始めるNPO その30

私は、今月末で熱帯医学研究所を退職するのだが、在職中ラオス、ケニア、ウガンダ、マリ、タンザニアなどから長崎に来た優秀な研究者たちと知り合うことが出来た。さらに長崎大学にはグローバルヘルス研究所があり、青年海外協力隊で開発途上国で色々な体験をした人たちや、ユニセフやJICAなどで国際協力関係の仕事をしてきた人達とも知り合った。さらに、熱帯医学グローバルヘルスという研究分野に新しく参加し今後じぶんたちでNPOを作りたいという若者たちとも知り合いになり、彼らも私のプロジェクトに協力してくれるという。

50代半ばを過ぎても、新しいネットワークができ広がっていきそうなワクワク感を体験できるって、本当に素晴らしいです。

さらにさらに、熱帯医学ミュージアムのミュージアムグッズをデザイン、販売する企画ができるかもという話も出てきていて、4月以降も、時々長崎大学には通います。


Go!Go!Go!!!

2016年3月23日水曜日

2つの退職祝賀会

3月14日と21日、2つの退職祝賀会に出席した。

一つは、大学時代の恩師の祝賀会。34年前まだ助手だったS先生。当時は、特に明確にやりたい事があったわけではない私だが、なぜか大学4年の8月に大手自動車メーカーのカラーデザイナーに内定したので、その後カラー関係の卒業制作をすることになり、S先生からいろいろアドバイスをいただいた。

あれから34年、先生は福岡を中心に、都市計画やサインデザインのプロジェクトを数々成功させ、九州大学の副学長や、いろいろな学会の会長を務めていた。

3月14日は福岡市内のホテルで午前、午後合計6つの講義があり、その後祝賀会となった。環境デザイン、建築、サインデザインなどの著名な方々は、講義で先生のいままでの功績を称賛し、祝賀会には数百名の人たちが集まり、それはそれは盛大なパーティーだった。

21日は、長崎大学熱帯医学研究所で私を技能補佐員として雇用してくださったN助教授。会議や論文などのらりくらりと避けて超マイペースでマラリアの研究を続けてきた助教授の退職祝賀会に集まったのは16名。特に講義もなく、ホテルの円卓2つに出席者が座り、ゆっくり食事しながらひとりずつ前にでてマイクで助教授との思い出話を話し続けた質素な祝賀会。しかし、変わり者で有名な助教授にまつわる思い出話は、どれもほのぼのと温かく心に残るひと時だった。

世間一般にいえば、勝ち組・負け組にはっきりわかれた祝賀会だったけれど、本当の価値なんて誰が決めるのだろう。。そして、私はたぶん退職祝賀会というものはないだろうけど、どんな老後になるのだろうと。。思う2日間でした。

今の私は、NPOを軌道に乗せる事が一番の目標であり楽しみです。

50代から始めるNPO その29

NPOと言えば、寄附金や助成金で活動しているところも多い。オンラインショップが難しいなら寄付金集めや、助成金申請といろいろやってみた。ライオンズクラブ会員とか、、長崎の有志たちが集まる宴会等に何度か顔をだしたけど、NPOを始めましたと言っても、簡単に寄付金は集まらない。高齢者のお金持ちに寄付金をお願いしても、なんだかオレオレ詐欺みたいで、無理がある。助成金申請も、実績とかキャッシュフローとかがしっかりしていないと難しい。

で、いろいろ考えて、物品ではなくデジタルメディアを販売して収益を得る事にした。ラオスやウガンダ、ケニア等の美しい写真を送ってもらい、ホームページで販売して、売上の一部を写真を送って来た人たちに還元する。開発途上国も、携帯電話やスマートフォンは普及していて、フェイスブックにも多くの人たちが投稿しているし、長崎大学熱帯医学研究所ならではのネットワークで面白い写真がたくさん集まりそう。

ということで、いろいろな人たちに写真をお願いしているのだが。。みんな忙しいし、タンザニア人がサファリパークの素晴らしい動物たちの写真を撮影している友達がいるというのだが、彼らの時間の動きは日本人とは全く異なり、写真を送るという返事がなかなか来ない。。

しかし、なんとか50枚以上の美しい写真が集まったら、海外のメディアなどにもPRしていく予定。

デジタルメディアアーカイブもたくさんあるけど、開発途上国の美しい写真を集めたNPOから写真を購入するというのは、面白いと思う。

そんな事を今、考えてます。

2016年3月21日月曜日

50代からはじめる NPO その 28

そろそろ、具体的活動内容に関して書いていきます。
NPOを始めたきっかけは、タイのバンコクとラオスのビエンチャン、バンビエンを訪問し、バンビエンには、バンコクやビエンチャンのようになってほしくない。。と思った事から始まります。

そんなこと、NPOのHPにはストレートにはかけないので、もっともらしい説明が必要です。

NYで23年間生活し、ランチで一本1000ドルもするシャンペンを飲む大金持ちとか、自宅にあるドレスを着たくなったセレブが、友人にたのんでNYからLAの豪邸まで飛行機のファーストクラスで行ってドレスをピックアップしてスペインのバルセロナまで運んでもらうとか。。ソーホーの和食レストランで一人500ドル当たり前とか。。なんだか、お金の使い方や欲望と使い捨てが半端じゃないのが当たり前のような世界が空しく感じられるようになってきました。

友人からタイはいいよ!というのでバンコクにいったら、近未来的デザインと物乞いたちがごちゃまぜになったブレードランナー的世界で、なんだかうんざり。長崎大学熱帯医学研究所で知り合ったラオス人に会いにラオスを訪れたとき、ラオスの美しい町をバンコクのようにしたくない。。と思ったのです。

ラオスの首都ビエンチャンは、交通信号も駐車場も整っていないのに、自動車で溢れ、次々とホテルやレストランが建てられ、混沌とした中で、急成長しています。

そんな中で、すこしビエンチャンから離れた所にあるバンビエンののどかな農村を、自然と農民たちを共存させながら豊かな村に育てたいと思ったのです。

まずは、資金づくりと、今までNYでやってきたオンラインショップをラオスやアフリカのアクセサリー販売でやってみようと挑戦したのですが、既に同じような事は、やりつくされていて、その競争に勝つような品質管理やパッケージづくりには、時間とお金が必要だとわかりました。

続く

2016年3月17日木曜日

50代から始めるNPO  その27

NPOで、一番大切な物は「定款」。設立当時、生れて初めて使う漢字で、なんて読んでいいのかもわからなかったけど、ここに書かれている事が、NPO活動の基本になる。

他のNPOの定款を参考にたたき台をつくり、長崎県庁県民協働課を何度か訪問し、訳も分からないまま、言われるままに作成した。しかし、担当者が親切な方で、「一般的にこうするほうがいいようです。」というアドバイスで、比較的融通が利く定款になっているようだ。

わがNPOは、事業年度が12月末までなので、その後3カ月以内に、総会と理事会を開催し、県民協働課に事業報告書等を提出する。その他、定款の内容変更や、理事の住所変更なども県民協働課に報告する。

理事の任期は2年で、3月末で終了するので、再任も含め2年毎に理事就任関係の書類を法務局に提出する。住所、定款、役員、資産など登記簿に記載される内容の変更に関する事は全て法務局に提出する。

ここまで理解するのに1年半かかってしまった!

助成金申請を何度もチャレンジしたおかげで、事業報告書は比較的簡単にかけたし、たのもしい経理スタッフもいる。県民協働課とは、質問などはメールでやり取りし、書類は郵送し、不備な点はまたメールで指示がくるので、書き換えて郵送するだけ。。と、だんだんスムーズにできるようになった。

問題は法務局!!!

電子メールは受け付けないし、質問や相談は毎回予約して法務局に行くのだが、5時終了なので、遅くとも4時半までには行かなければならない。しかも、担当者によって、要領のいい人と悪い人がいる。

昨日は、理事の重任と住所変更で、法務局に行ったのだが、いろいろ書類の書き換え事項があり、

担当者:「ここは、このように書いて、この部分の日付はこのように変更していいでしょうか?」

私:「何がいいか悪いか私にはわからないので、今後、なるべく手間がかからず問題ないならいいようにお願いします。」

そんな会話の繰り返し。とりあえず、今年やるべき事はわかったけど、1年後、2年後までにやるべきことを教えてくださいと、いろいろ聞きだしていたら、資産変更手続きを今年4月までにやらなければいけないことが分かった。でその事を質問しようとしたら、「時間ですので、また日を改めてきてください。」という。

むうううううううう。

最初から必要事項をテキパキ教えてくれたらこんなに時間かからなかったのに。。。

今回の教訓: 恐るべし!お役所仕事。

2016年3月16日水曜日

50代から始めるNPO その26

NPOを立ち上げて1年半が過ぎました。そろそろ、実績を作らないと、口先だけのおばさんで終わってしまいます。2年以内に形にしたいと思っていたので、ピッチをあげなければいけません。

今温めているアイディアを、少しずつ広げ、いろいろな方の意見を聞いているのですが、なかなか難しいですね。

シンプル、ダイレクトでわかりやすい活動内容が、一番受け入れられやすいのだけど、私がやりたいことがまだぼんやりしているのが一番の問題です。

そんな時はネットサーフィン。。。をしてたら、ひさしぶりに、山中俊治さんのブログに行きました。

”「できた!」と思ったものから「なんとなくそうしてしまったこと」をていねいに取り除いてゆく。そうやって濁りを取り、あらゆる細部に目的に沿った意味を込めてゆくことを「洗練」という。”

昔、大学で習ったKJ法をいうのを思い出しました。
もう一度原点に戻って、ブレーンストーミングから始めてみます。


山中さん、ありがとう。


2016年3月15日火曜日

50代から始めるNPO その25

NPOの年度末が12月なので、その後3カ月以内に、社員総会、理事会等開き、事業報告書等をまとめて、長崎県庁県民協働課や法務局などにいろいろ書類を提出。。などなどでばたばたしておりました。

今回2回目の書類提出。経理担当スタッフの援助もあり、今年はだいぶ慣れてきました。今だに捨印、割印、印、印、印。。には ???の心が騒ぎますが、私もだいぶ大人になり、長い物に巻かれて、一般常識になんとなく足並みを揃える事ができるようになってきました。

で、1年半たったNPOですが、助成金も寄付金もなかなかうまく集まりません。そんな中、監事のM教授が、書き損じた葉書類や、未使用切手等を寄付してくださいました。

招待状、年賀状など、印刷しすぎたり、書き間違えて発送しなかった数百枚の葉書類は郵便局に持っていくと、10%の手数料を差し引いた残りを新しい切手に換金してくれます。その額約56000円!!やったね!

で、その後は金券ショップで切手を現金化するのですが、切手シートで80%、バラの切手で70%の現金になります。

そんな事知らないで、シート数枚であとは1000円その他のバラの切手に換金していたので、結局56000円は、38000円にしかなりませんでした!お年玉年賀はがきで当選してもらえる2枚入りシートも70%にしか換金していただけません。

さらに、1960年代から集めた記念切手(見返り美人とか、天皇なんとかとか。。)もいろいろいただいたのですが、これらも70%換金にしかなりません!

というわけで、これらの記念切手は、今後NPOで使う送料に充てる事にしました。

ふうううう。NPOやってると、いろんな事が勉強になりますね。

本日の教訓

郵便局で、切手に換金する時は、なるべく10枚以上のシートにしましょう!

続く


おひさしぶりです!

最近、いろいろ考える事はあるのだけど、頭の中でぐるぐる回ってそれだけで疲れてしまい、文章にしていませんでした。

もう何か月もごぶさたのこのブログですが、時々見てくださる方がいるのですね。

「入院されてたのですか?」「大丈夫ですか?」というメールや電話を数名のかたからいただきました。

ありがとうございます。生きてます。飲んでます。

3月一杯で長崎大学熱帯医学研究所を退職し、しばらくはNPOに専念します。NPOに関しても、多くの方々からアドバイスをいただき、さらに明るいアイディアも閃いてきたので、本気でやってみます。

詳細は、この次のブログに書きます。

3月13日日曜日、福岡で大学時代お世話になった教授の退官祝賀会に参加し、大学の後輩たちと飲みました。みんなから「若いですね。」「元気ですね。」と言われ、いい気になってガンガン飲みました!でもだれも「美魔女ですね!」とは、言いません。久しぶりにはいたハイヒールで足がいたくなり、会場のカーペットの上で裸足になっていた私は、元祖おやじギャルなので、美魔女には永遠になれないようです。でも言われてみれば、最近ストレスがほとんどありません。自分が好きな事、やりたい事をやっているので、うまくいかなくても全て自分のせいです。ストレスのたまりようがないのです。

しかし、50代半ばになった人たちの会話は、誰それが癌になったとか、入院したとか。。暗い重い話が多かったです。

ふううう。

とにかく健康第一で、明るくいきましょう!