2016年7月20日水曜日

7月1日 バンコク、ビエンチャン

7月1日、福岡からタイのバンコク・スワンナプーム空港経由でラオスのビエンチャンへ。
タイエアーの飛行機は、各席に取り付けられているモニターも新しくなかなか快適。
スワンナプーム空港は巨大!ここを拠点に世界各地に飛行機が飛び立っている。
空港の免税店でワインを購入する予定だったが、免税店なのに結構値段が高い。ベトナムのハノイ空港のほうが安かったなあ。

バンコクからビエンチャン、ラオスに向かう飛行機は小さくてボロッちく、モニターなんてついてない。まあ1時間のフライトだしいいか。

3人シートの窓際は知らないおっさん。私は通路側に座る。で、ビエンチャン到着直前に、何がきっかけだったか知らないおっさんと話したら、日本人でラオス北部のシエンクワンの7000ヘクタールの土地を農地として開発しているという。

私たちが今回視察に行く土地は150ヘクタール。そこで何ができるか検討するのだが、3年前から7000ヘクタールの土地を開発しているって、すごおおおい!と思い、名刺交換。

ビエンチャン空港には夜8時半過ぎにつく。スナプーム空港にくらべるとガクンと小さい。タイとラオスの差がここにもはっきり出ている。

為替交換所はもう閉まっている。去年ラオスに来た時の残りの紙幣(キープ)でなんとか、ホテルまでのタクシー代がでた!

本当は、スワンナプーム空港で換金したかったのだが、タイ・バーツには換金できても、ラオス・キープには換金できなかった!!

というわけで、7月1日無事ビエンチャン到着。


2016年7月7日木曜日

3度めのラオスで得たもの 

1度目のラオスは、2013年12月、タイのバンコクに行ったついでに、知人が住むラオスにふらり立ち寄った。

2度めのラオスは2015年3月、NPOを立ち上げたあと、何ができるか下調べで出かけた。

そして、今年7月、3度目のラオスは、思いがけない出会いから、とても刺激的な旅になりました。

続く

2016年6月28日火曜日

もんもんもん  むううううう

もんもんもん
むうううううう

なかなか物事がうまく進まない。
NPOは、手続き関係だけやってても意味ないもんね。
中身が大切なことは分かったいるのだが、何かを始めようとするとすぐに壁にぶちあたる。

物事、そんなに簡単にいくはずがない。うまくいかなくて当たり前。出口のない迷路の中を壁にぶつかっては曲がり、ぶつかっては曲がる。

ふううう。

ワインの空き瓶ばかりが増え続け、数独の難問がなぜか最近はすぐ解けるようになってきた。

NPOも数独みたいにいかないものか。。

とりあえず、7月初めにラオスにいってきます。

2016年5月12日木曜日

NPOと失業保険

3月末、任期満了で、熱帯医学研究所を退職した。しばらくは、失業保険をもらいながらNPOのことを進めようと考えていた。

失業保険を申請するには、離職票が必要で、普通1ヶ月以内に届くらしいが、3月末退職者が多いため4月末から5月はじめに届くという。

4月中は、NPOのプロジェクトをすすめるため、いろいろリサーチしたり関係者をNPO事務所(って自宅ですが)に招待して、料理をふるまいながらいろいろ話を聞いたり、新しいプロジェクトが定款の内容から外れていないか、県庁のNPO関係の担当者に相談したりしていた。

ゴールデンウィークを過ぎてもまだ離職票が届かない。で、長崎大学の総務課に問い合わせたら、人事課の担当者に10日に発送していただきました。というメールが届いた!!1ヶ月以上立って、やっと発送していただけたのか???こっちはしっかり雇用保険払っているのに、結局退職した人の事は先送りなのね。そうやって弱者は置き去りにされるのね。。とムカついたけど、とりあえずお礼のメールを送った。(少しは大人になった私。。)

そして、11日、離職票、顔写真2枚、その他必要書類を揃えて、ハローワークへ。待つこと約1時間、やっと担当者と面談。一通り話が終わり、手続きも終わったところで、NPOでは給料が出ていないという証明書が必要ということになった。新しい担当者と話をしていたら、NPOの理事長は、給料をもらっていなくても、失業保険は受け取れないことがわかった!!!

っっっっっっっっ!!!!!。まるまる、1ヶ月以上無駄な時間を使ってしまった!!

とにかく、収益があがるNPOにするっきゃない!

いろいろムカつくことはたくさんあるけど、これでやっと私のお尻に火がついてきました!

燃えるぞう~~~!走るぞ~~~~!おばさんは怒ったぞう~~~~~!!!

2016年3月25日金曜日

50代から始めるNPO その30

私は、今月末で熱帯医学研究所を退職するのだが、在職中ラオス、ケニア、ウガンダ、マリ、タンザニアなどから長崎に来た優秀な研究者たちと知り合うことが出来た。さらに長崎大学にはグローバルヘルス研究所があり、青年海外協力隊で開発途上国で色々な体験をした人たちや、ユニセフやJICAなどで国際協力関係の仕事をしてきた人達とも知り合った。さらに、熱帯医学グローバルヘルスという研究分野に新しく参加し今後じぶんたちでNPOを作りたいという若者たちとも知り合いになり、彼らも私のプロジェクトに協力してくれるという。

50代半ばを過ぎても、新しいネットワークができ広がっていきそうなワクワク感を体験できるって、本当に素晴らしいです。

さらにさらに、熱帯医学ミュージアムのミュージアムグッズをデザイン、販売する企画ができるかもという話も出てきていて、4月以降も、時々長崎大学には通います。


Go!Go!Go!!!

2016年3月23日水曜日

2つの退職祝賀会

3月14日と21日、2つの退職祝賀会に出席した。

一つは、大学時代の恩師の祝賀会。34年前まだ助手だったS先生。当時は、特に明確にやりたい事があったわけではない私だが、なぜか大学4年の8月に大手自動車メーカーのカラーデザイナーに内定したので、その後カラー関係の卒業制作をすることになり、S先生からいろいろアドバイスをいただいた。

あれから34年、先生は福岡を中心に、都市計画やサインデザインのプロジェクトを数々成功させ、九州大学の副学長や、いろいろな学会の会長を務めていた。

3月14日は福岡市内のホテルで午前、午後合計6つの講義があり、その後祝賀会となった。環境デザイン、建築、サインデザインなどの著名な方々は、講義で先生のいままでの功績を称賛し、祝賀会には数百名の人たちが集まり、それはそれは盛大なパーティーだった。

21日は、長崎大学熱帯医学研究所で私を技能補佐員として雇用してくださったN助教授。会議や論文などのらりくらりと避けて超マイペースでマラリアの研究を続けてきた助教授の退職祝賀会に集まったのは16名。特に講義もなく、ホテルの円卓2つに出席者が座り、ゆっくり食事しながらひとりずつ前にでてマイクで助教授との思い出話を話し続けた質素な祝賀会。しかし、変わり者で有名な助教授にまつわる思い出話は、どれもほのぼのと温かく心に残るひと時だった。

世間一般にいえば、勝ち組・負け組にはっきりわかれた祝賀会だったけれど、本当の価値なんて誰が決めるのだろう。。そして、私はたぶん退職祝賀会というものはないだろうけど、どんな老後になるのだろうと。。思う2日間でした。

今の私は、NPOを軌道に乗せる事が一番の目標であり楽しみです。

50代から始めるNPO その29

NPOと言えば、寄附金や助成金で活動しているところも多い。オンラインショップが難しいなら寄付金集めや、助成金申請といろいろやってみた。ライオンズクラブ会員とか、、長崎の有志たちが集まる宴会等に何度か顔をだしたけど、NPOを始めましたと言っても、簡単に寄付金は集まらない。高齢者のお金持ちに寄付金をお願いしても、なんだかオレオレ詐欺みたいで、無理がある。助成金申請も、実績とかキャッシュフローとかがしっかりしていないと難しい。

で、いろいろ考えて、物品ではなくデジタルメディアを販売して収益を得る事にした。ラオスやウガンダ、ケニア等の美しい写真を送ってもらい、ホームページで販売して、売上の一部を写真を送って来た人たちに還元する。開発途上国も、携帯電話やスマートフォンは普及していて、フェイスブックにも多くの人たちが投稿しているし、長崎大学熱帯医学研究所ならではのネットワークで面白い写真がたくさん集まりそう。

ということで、いろいろな人たちに写真をお願いしているのだが。。みんな忙しいし、タンザニア人がサファリパークの素晴らしい動物たちの写真を撮影している友達がいるというのだが、彼らの時間の動きは日本人とは全く異なり、写真を送るという返事がなかなか来ない。。

しかし、なんとか50枚以上の美しい写真が集まったら、海外のメディアなどにもPRしていく予定。

デジタルメディアアーカイブもたくさんあるけど、開発途上国の美しい写真を集めたNPOから写真を購入するというのは、面白いと思う。

そんな事を今、考えてます。