2016年9月19日月曜日

ふうううううう。

Facebookには、日々の小さな発見や出来事を書き、ブログには、自分がいま何を考えているかを記録しようと、なんとなく心がけてきたのだけど、最近 ブログの記事がなかなか書けない。

7月に行ったラオスでの出来事がとても面白かったので、記録しようと思っていたのだが、その後、ラオスであった出来事の続きが、なかなかうまく進まなくて。。届くと思っていた返事がこなかったり、面白そうと思っていたことが、覆されたりで。。

まあ、世の中思い通りにいかないのが当たり前であって、それらも呑み込んで前に進むことがチャレンジと思っていたのだけど

NYで知り合いだった人がいつの間にか死んでいたり、長崎に戻って新しく知り合った人もいつの間にか亡くなっていたりして。。今まではそのうちなんとかなるさと気楽にマイペースでやってきていたのに、自分の時間にも終わりがあることに気付いて、焦った気分になったところで、今までの自分のペースをかえられるわけでもなく。。

そんなこんなで、いろいろ考えているうちに時間ばかり過ぎていくのです。

10月21日からまたラオスに行きます。そろそろ具体的に形になるものを作らないと。。

2016年8月2日火曜日

7月2,3日バンビエン

おおおおお!いつの間にか8月になっているではないか!忙しいわけではないのに、細々したことに日々追われ、7月のラオス旅行を整理する前に8月になってしまった。。

とりあえず、ラオス旅行の続き。7月1日ビエンチャンに一泊し、2日ミニバスでバンビエンへ。雨季の中、なんとかバンビエンに到着したのだが、その後ホテルまでトゥクトゥクで移動。雨の中、1台のトゥクトゥクに8人詰め込まれ、ぬかるみのでこぼこ道を揺られながらホテルに到着。

ホテルはゆったり快適に見えたが、リバーサイドビューは全て韓国人観光客に押さえられていた。(まあその分、ホテル代は安かったけどね)。

2日はゆっくりバンビエン市内を観光というか、ぶらぶら散歩し、3日NPO現地スタッフに、去年交通事故防止用反射テープを配布したカムマック村と、農地とリゾート地に開発予定の150ヘクタールのカムマック山の視察に行く。



反射テープはとても役に立ったという話だが、データが全くない!しかも、ステイプルガンで固定したテープは1年3か月後も残っているが、テープのままはりつけた自転車後部はほとんど剥がれていた。何とか、対策考えないと。。

カムマック山に行くためにかかった橋が3日前に雨で流されたというので、ボートで移動。短い距離だったけど、泥だらけになってしまった。

カムマック山は、蚊だらけ。。現地の人たちが、宿泊施設を建設中なのだが、ハンモックもあって、ゆっくり昼寝しながら仕事してるみたい。

さてさて、私に何ができるかなあ。。。

ホテルに戻った後、おいしいワインを飲みたくなったのだけど、私が宿泊しているホテルは停電でエレベーターも止まっている。

そこで、バンビエンで一番高級なホテルのバーでワインを飲むことにした。さすがに高級ホテルで、バンビエン近くで作ったチーズが最高においしかった!

バーカウンターで働くラオス人は、まだ電気も通っていないラオス北部の村出身というのに、英語がペラペラ。かなり優秀な人なんだろうね。そこに、イタリアの三ツ星ホテルのオーナーの息子が2か月間ホテルマネージメントの研修きていて、いろいろ話をきいたのだけど、ラオスにはフレンチやイタリアンで使うようなカラフルな野菜が少なくて、ヨーロッパのいいシェフが働きたがらないという。。

美味しいチーズと美しい野菜。。カムマック村で作れないかしらん。。。

って、思うのは勝手よねええ。ふうう。




2016年7月20日水曜日

7月1日 バンコク、ビエンチャン

7月1日、福岡からタイのバンコク・スワンナプーム空港経由でラオスのビエンチャンへ。
タイエアーの飛行機は、各席に取り付けられているモニターも新しくなかなか快適。
スワンナプーム空港は巨大!ここを拠点に世界各地に飛行機が飛び立っている。
空港の免税店でワインを購入する予定だったが、免税店なのに結構値段が高い。ベトナムのハノイ空港のほうが安かったなあ。

バンコクからビエンチャン、ラオスに向かう飛行機は小さくてボロッちく、モニターなんてついてない。まあ1時間のフライトだしいいか。

3人シートの窓際は知らないおっさん。私は通路側に座る。で、ビエンチャン到着直前に、何がきっかけだったか知らないおっさんと話したら、日本人でラオス北部のシエンクワンの7000ヘクタールの土地を農地として開発しているという。

私たちが今回視察に行く土地は150ヘクタール。そこで何ができるか検討するのだが、3年前から7000ヘクタールの土地を開発しているって、すごおおおい!と思い、名刺交換。

ビエンチャン空港には夜8時半過ぎにつく。スナプーム空港にくらべるとガクンと小さい。タイとラオスの差がここにもはっきり出ている。

為替交換所はもう閉まっている。去年ラオスに来た時の残りの紙幣(キープ)でなんとか、ホテルまでのタクシー代がでた!

本当は、スワンナプーム空港で換金したかったのだが、タイ・バーツには換金できても、ラオス・キープには換金できなかった!!

というわけで、7月1日無事ビエンチャン到着。


2016年7月7日木曜日

3度めのラオスで得たもの 

1度目のラオスは、2013年12月、タイのバンコクに行ったついでに、知人が住むラオスにふらり立ち寄った。

2度めのラオスは2015年3月、NPOを立ち上げたあと、何ができるか下調べで出かけた。

そして、今年7月、3度目のラオスは、思いがけない出会いから、とても刺激的な旅になりました。

続く

2016年6月28日火曜日

もんもんもん  むううううう

もんもんもん
むうううううう

なかなか物事がうまく進まない。
NPOは、手続き関係だけやってても意味ないもんね。
中身が大切なことは分かったいるのだが、何かを始めようとするとすぐに壁にぶちあたる。

物事、そんなに簡単にいくはずがない。うまくいかなくて当たり前。出口のない迷路の中を壁にぶつかっては曲がり、ぶつかっては曲がる。

ふううう。

ワインの空き瓶ばかりが増え続け、数独の難問がなぜか最近はすぐ解けるようになってきた。

NPOも数独みたいにいかないものか。。

とりあえず、7月初めにラオスにいってきます。

2016年5月12日木曜日

NPOと失業保険

3月末、任期満了で、熱帯医学研究所を退職した。しばらくは、失業保険をもらいながらNPOのことを進めようと考えていた。

失業保険を申請するには、離職票が必要で、普通1ヶ月以内に届くらしいが、3月末退職者が多いため4月末から5月はじめに届くという。

4月中は、NPOのプロジェクトをすすめるため、いろいろリサーチしたり関係者をNPO事務所(って自宅ですが)に招待して、料理をふるまいながらいろいろ話を聞いたり、新しいプロジェクトが定款の内容から外れていないか、県庁のNPO関係の担当者に相談したりしていた。

ゴールデンウィークを過ぎてもまだ離職票が届かない。で、長崎大学の総務課に問い合わせたら、人事課の担当者に10日に発送していただきました。というメールが届いた!!1ヶ月以上立って、やっと発送していただけたのか???こっちはしっかり雇用保険払っているのに、結局退職した人の事は先送りなのね。そうやって弱者は置き去りにされるのね。。とムカついたけど、とりあえずお礼のメールを送った。(少しは大人になった私。。)

そして、11日、離職票、顔写真2枚、その他必要書類を揃えて、ハローワークへ。待つこと約1時間、やっと担当者と面談。一通り話が終わり、手続きも終わったところで、NPOでは給料が出ていないという証明書が必要ということになった。新しい担当者と話をしていたら、NPOの理事長は、給料をもらっていなくても、失業保険は受け取れないことがわかった!!!

っっっっっっっっ!!!!!。まるまる、1ヶ月以上無駄な時間を使ってしまった!!

とにかく、収益があがるNPOにするっきゃない!

いろいろムカつくことはたくさんあるけど、これでやっと私のお尻に火がついてきました!

燃えるぞう~~~!走るぞ~~~~!おばさんは怒ったぞう~~~~~!!!

2016年3月25日金曜日

50代から始めるNPO その30

私は、今月末で熱帯医学研究所を退職するのだが、在職中ラオス、ケニア、ウガンダ、マリ、タンザニアなどから長崎に来た優秀な研究者たちと知り合うことが出来た。さらに長崎大学にはグローバルヘルス研究所があり、青年海外協力隊で開発途上国で色々な体験をした人たちや、ユニセフやJICAなどで国際協力関係の仕事をしてきた人達とも知り合った。さらに、熱帯医学グローバルヘルスという研究分野に新しく参加し今後じぶんたちでNPOを作りたいという若者たちとも知り合いになり、彼らも私のプロジェクトに協力してくれるという。

50代半ばを過ぎても、新しいネットワークができ広がっていきそうなワクワク感を体験できるって、本当に素晴らしいです。

さらにさらに、熱帯医学ミュージアムのミュージアムグッズをデザイン、販売する企画ができるかもという話も出てきていて、4月以降も、時々長崎大学には通います。


Go!Go!Go!!!